ブルース・リ−


考えるな、感じるんだ。

Bruce Lee
戴拳道
身長171B,体重65L,O型
[1940〜1973] 享年32歳

1940年、サンフランシスコの中国人街で生まれた劇団一家の息子。
名は『李振藩』。『ブルース』は米国の役所への届出に必要だった英語名。
ちなみに『李小龍』は彼の映画子役時代の芸名。この芸名は再び使うこととなる。
アメリカ巡業を終えた一家は香港に帰国。
だから彼はサンフランシスコ生まれの香港育ちというワケだ。
李一家の帰国後、太平洋戦争が勃発する。
空襲を受けた香港は終戦後、再びイギリス直轄領となる。
学校に入学するも、まわりとはうまくいかなかったようだ。
子役スターとして映画に出ていた彼は、かなり傲慢な少年だったらしい。
まわりの人間と衝突し、喧嘩の絶えなかった彼は、ある時キツイ仕打ちにあったようだ。
幼少期、彼は父親から太極拳を習っていたが、
それは功夫というよりも体操に近いものでしかなかった。
正式に功夫を習っている者たちには勝てなかったとしても無理はなかろう。
そこで13歳の時、彼は正式に功夫を習い始めるのである。
師は詠春拳の高手・葉問(イップ・マン)であった。

詠春拳は数ある中国拳法の中でもかなり特殊だ。
普通、中国拳法というと、
歩幅を広げて重心を下ろし、突き蹴りも大きいという印象があるが、
詠春拳では高い重心で歩幅も狭く、動きは直線的で、上半身の動きを主体に短打を多用する。
ブルース・リ−が映画中によく見せる、
相手に短打をわざと受けさせて、その受けた手をグイと手繰って顔面に打込む、
あの特異な動き。あれが詠春拳の動きだ。
下半身の動きはかなりオリジナル入っているけど。

彼は詠春拳に飽き足らず、様々な中国拳法の研究をしたらしい。
2年程で葉問のもとを後にして、今度は少林拳の師父に師事する。
ボクシング技術もわずか数カ月で修得してしまう。
彼は、物事の本質を瞬時に見抜く特別な才能を持っていた。
それは武術家としての大成を担う天賦の素質である。
さらにあまり知られていないが、ブルース・リ−はダンスをやっていた。
やっていたなんてもんじゃない。ダンス大会で優勝までしちゃってる。
後に彼の武術体系に重要な要素となるリズム感の素養は、
既にこの頃から培われていたようだ。

彼は学校を中退する。勿論喧嘩が原因だった。
転校後も喧嘩が絶えず、遂に警察沙汰を起こして香港を後にすることになる。
ブルース・リ−17歳の時である。
渡米して何年か後、ワシントン大学に入学し、哲学を専攻した。
理由は明白だ。武術思想や、武道精神の探究の為である。
自費出版であるが、本まで出している。

大学入学後、彼は振藩國術館という名で道場を開いた。
道場生は白人,黒人,東洋人と様々であった。
当時、中国人社会の一般通念として、中国人以外に功夫を教えることはタブーであり、
当然の結果として彼は、中国人街の武術界からの脅迫を受けることとなる。
彼に挑戦したのは南派の白鶴拳の使い手だったが、
ブルース・リーは、この挑戦者にあっさり勝ってしまう。
決着までは、わずか数分であったが、彼にとってそれは長過ぎた。
彼は一瞬で片をつけるつもりでいたからだ。
原因は歩法にあることに彼は気づく。
受け主体の詠春拳を基軸にしているブルース・リ−は、
逃げ回る相手を仕留めるのに手間取ったのだ。
これは彼の信条にそぐわぬ結果であった。
勝った試合で学ぶ。人は負けて始めて自らの欠点を知るものだが、
このあたりがブルース・リ−の尋常成らざる所以なのだろう。
ブルース・リ−、この時弱冠24歳である。

この後、彼の動きは変化を遂げる。
それは相手を倒す為の、
相手に、より効率的に、より効果的なダメージを与える為の変化だ。
最大の変化はフットワークとキック。
課題であった歩法の修正、スウェイやリズムなど、
西洋格闘技から獲得したものは大きかった。
さらにウエイトトレーニングによる肉体改造への着手、ボディビルの器具を購入し、
ありとあらゆる格闘武術書の収集、独自の訓練方法や訓練器具,防具の考案と、
彼の飽くなき探究は留まることを知らなかった。
香港では詠春拳,少林拳の修練をはじめ、ボクシング、ダンスを習い、
研究は広く中国拳法に及び、
渡米後は、テコンドー,サバット,ムエタイ,空手など蹴り技や、
西洋格闘術、関節技、寝技の研究までしている。
こうして彼は戴拳道の骨子を完成させるのである。

ブルース・リ−という人間は、
自らを守り、争いを避け、相手を傷つけず、
武道は精神修養の手段であり、人間完成への道であると宣う高名な武道家達とは
明らかに異なる種類の人間だ。
彼にとって、武術はあくまで相手を倒す手段であり、自らの強さの証明でもある。
彼が言うところの哲学や精神といったものは、戦闘時のそれであり、
平常時の理性や倫理といったものは彼の興味の対象にはない。
最強、あるいは頂点を極めんとする欲望に忠実なればこその鍛練であり、探究なのである。
事実、子供の頃から彼の心はまったく成長していない。
自己顕示欲が強く、頑固で妥協を許さず、自己中心的で他人の思想を認めず、
世界の中心は常に自分であった。
人間としての彼がどうであったかは知らないが、
武術家としての彼は、紛れもない天才であったことだけは確かだ。


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