崔泓熙(チェホンヒ)
崔泓熙

テコンドー
[1918〜]

朝鮮半島北部の寒村で生まれた崔泓熙は、
少年期に朝鮮古武術のテッキョンを学んだ。
12歳で彼が弟子入りした書の大家は、身体の弱い弟子の身体を鍛える為に、
自ら造詣の深かったテッキョンを教えることにしたのだ。
18歳の時に渡日した彼は、同郷の先輩から空手を習い始める。
それは、渡日直前に物を投げて怪我を負わせた相手の復讐を怖れ、
帰国までに対抗手段を獲得しておきたかった為だったという。
ちなみに崔泓熙は松涛館空手二段の段位を取得している。

崔泓熙が在日中のこの時代は、太平洋戦争末期であり、
彼も朝鮮人でありながら、日本兵として戦場へ駆り出されることになる。
学徒動員された彼の赴任先は皮肉にも平壌であった。
来日前に反日学生運動にも参加していた彼は、日本軍として送り込まれた故郷の地で、
仲間と共に独立軍と共謀して決起(平壌学兵事件)。これに失敗して投獄されてしまう。
平壌陸軍刑務所収監中の彼は、戦争終結の日まで刑務所の同僚に空手を教えて過ごす。

朝鮮解放後の1946年、彼は韓国国軍創立員の一人として韓国陸軍少尉に就任。
軍隊の武術指南役を担った彼は、この頃から国軍武術の為に研究を始めるのである。
空手とテッキョンを中心に様々な武術を取り入れ、韓国独自の武道の確立に尽力する。
その試みは1954年頃におおむね完成を見た。
翌1955年正式名称が『テコンドー』に決定する。
足技の意である『テ(足偏に台)』と、『拳』、そして
精神修養の『道』をもってして『テ拳道』というワケである。
1963年に、24番目最後の型(トゥル)『統一』の創始をもってテコンドーは完成を見た。

技の破壊力は『質量』と『速度』によって決まる。
体重は変えようがないから、『速度』を上げる必要がある。
テコンドーでは、柔軟な動きと腰の回転、重心移動によって加速を果たしている。
テコンドーのあの特徴的な、波の軌道を描く身体の上下運動は、
速度を得る為の工夫であったのだ。
さらに急所への力の集中。
上記の加速法に加え、足の正確な部位が、
正確な急所へと正確な角度をもって当たることで、最大の破壊力を生む。
蹴りによる板割演武で見るあの破壊力は、
いくつもの要素が揃った正確な蹴りによって可能になっているのである。
ということは、正確な攻撃が与えられなければ、
これほどの破壊力は生まれないということだ。
動かない標的に対して正確な攻撃が出来ても、実戦ではどれほどそれが可能か?
現在見るスポーツ競技としてのテコンドーの試合では、
単に当たったというだけの破壊力に乏しい蹴りでも有効打として認められ、
勝敗が決することは決して珍しくない。
テコンドーの真骨頂はその蹴り技にあるが、
その特性上、蹴り技というのはもっともバランスを崩しやすい。
バランスを崩せば、破壊力を生む為の諸要素はことごとく失われてしまう。
精神修養や型を重視するテコンドーの実戦能力の証明を見たいものだ。


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