前田光世



柔道
[1878〜1941] 享年62歳
167B,68L

『2000戦無敗』の男。
集英社の『コンデ・コマ』でちょっと過激に描かれている彼。
明治11(1878)年に青森の裕福な庄屋の子に生まれ、
子供の頃は怪力を誇り『相撲っ子』と呼ばれる。
そりゃそうだろ、まわりの子供らとは食が違う。
彼は名門中学に入学するが、農家のガキ大将が、
士族の子等が通う中学校でうまくやっていけるワケがない。
案の定留年。

明治29年(1896)単身上京。
明治31年(1898)講道館に入門。
その年の10月には早くも初段に昇進。
翌明治32年10月に二段昇進、
明治34年1月、遂に三段昇進し、
『講道館三羽烏』と呼ばれるにいたるのである。

その後、明治37年(1904)に渡米。
嘉納治五郎の誘いに乗ってのことだ。
この時25歳の彼の段位は四段にまでなっていた。
NYで彼は柔道の力を知らしめる為、公開で他流試合を行った。
プロレスラ−、ボクサー、フットボール選手と次々と撃破。
懸賞金を賭けた他流試合は全米で行われるようになり、
そんな中で彼は、レスラー対策としての絞め技,関節技の開発を始める。
さらに前田の研究と開発は打撃技にまで手を染めていたらしい。
もう柔道じゃないぞ。
柔術を学び、関節技や締め技を排除して近代スポーツ・講道館柔道たらしめた師・嘉納治五郎の、
逆を行く悪弟子の彼であった。

プロレス興行が日本に伝わり講道館を破門されるが、
気にもしない彼はアメリカを後に渡欧。
全欧で異種格闘技戦を繰り広げ、もちろん連戦連勝。
まさに波乱万丈やなぁ。

『コンデ・コマ』の名は全欧巡業のリングネームであった。
前田の名が有名になりすぎて相手が逃げるので、偽名を考えるが良い名が思い浮かばない。
困った。
では『前田困る』にしよう。
『コマル』では語呂が悪いから『コマ』ではどうか。
『コンデ』は伯爵。スペイン人の知人等が彼をそう呼んだのだ。
『困る伯爵』ならぬ『コマ伯爵』というワケだ。
この逸話があらわすように、彼の性格は実に明快で、
陽気で負けず嫌い、誉められると調子に乗り、細かいことには無頓着で、我慢することが大嫌い。
子供のまんまである。
しかしこの性格は彼の欠点とはならず、むしろ大きな魅力となっていたようだ。
晩年ブラジルで、地元の名士ガスタオン・グレーシーから息子の教育を頼まれ、柔術を教えた。
その息子ってえのがカルロス君。
あのエリオ君の兄ちゃんで、喧嘩で前田柔術を使いまくった挙げ句、グレーシー柔術の道場を開く…
ってな具合。


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