楊兆源
峨眉派武功+少林拳
[1895〜]

『二打不用』の異名を持つ男。
彼が生まれたのは、1895年。
家は四川省江油市の武術家の家系であった。
幼少期から峨眉派洪門功夫の英才教育を受け、
四川各地の武術家と交流を持つ同家の著名な師のもとで、
幾多の諸流を生んだ峨眉派武功界の中に育ったといえる。
13歳の時、河南省嵩山少林寺に入山。
この時すでに113歳(ホントか?)の智普和尚にその才を見い出されて
直接指導を許された。特別待遇である。
楊くんは、智普和尚に拝師、少林派掌門弟子となり、
その技芸を受け継いだ。
成芸後、崇山を下りた様兆源は、
各地の高手達を訪ね歩き、彼等の受け継ぐ秘伝を学ぶ日々を過ごした。
彼の名が四川武林に轟いたのは、
当時四川武士会によって開催されていた
成都青羊宮擂台比賓(要するに武闘大会)においてである。
様兆源もどこかで噂を聞き付けて参加したのだが、
初出場で大会を制覇。その後数年間無敗のまま引退。
また、試合において彼は二打以上打つことはなかったという。
二打目を打つ前に相手は必ず倒れていたからだ。
『二打不用』というワケである。
様兆源老師は101歳で演武を披露する程元気だったというが。
現在も健在でおられるかどうかは不明である。


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